うちの母は厳しすぎる
タイトル通り、私の母は厳しいのでそのことについて書きたくなりました。
これはうちだけ?それとも他の家でもこうなの?と疑問に思ったのですが、どうやら他の家のお母様はもう少し優しいとお聞きしました。(友達情報)
今までも、「あれっ、なんでこんなことで怒るんだろう」と思うことが多々あり、半ば諦めていたのですが溜まった鬱憤をぶつける場所としてここにしました。
まず、うちの母は堅い、偏見がある、四六時中怒っている等、なかなかのものです。
優しいときもあるのですが稀です。本当に。
優しいときもあるんですよ、頼りになるときもありますし結局私は母のことをそこまで嫌いではないのですが、やはりどうしても「いや、なんでそうなるの」ってことが多いので愚痴の捨て場にさせてください。
以下、今までの体験談
- 門限が5時
小学校の頃は門限が5時で夕飯が6時で就寝が8時。小学校の頃はいいよ、そりゃあ。そこまで遅く遊ぼうと思ってなかったし、他の友達も似たような門限だった。
しかしですね、中学校、高校でも門限が5時というのは如何なものかと思ったのです。
中学校では、門限が5時という人は少なかった。それでも、まあ、大して問題はなかったかのように思う。当時は休みの日まで遊ぶ友達というのはあまりいなかったし、私自身いじめに遭っていたのでそこまで遅く遊ぶという考えはそこまでなかったような気がする。よく覚えてないが。
問題は高校だ。高校で門限が5時というのは厳しいと思うの。
打ち上げとかクラス会のようなものに参加すれば帰りが遅くなるのは当然で、そのこともあって打ち上げには参加したことがない。言えば許してくれるのだろうが、怒られるのは変わらない。「高校生で打ち上げなんて。お金がかかるのに」を言われ、それ以降何かあれば「毎日打ち上げに行くなんて。高校生なのに」という言葉で掘り返して怒る。さすがにそこまでして参加したいほど当時のクラスの人間と仲良くはなかったので、行かなかった。
夕飯の時間は6時なので、6時に帰ればいいかと思ったときもあった。
5時59分に帰宅し、「ギリギリだったわ」と安堵していたら「こんな遅くまで何をしていたの。早く帰ってきなさい」と怒られる始末。高校3年生もそんな感じ。
高校一年生か二年生のとき、街中でお祭りがあったので友達とそこへ行くと勇気を出して母に言ったところ、激怒。許しは貰ったが、「もう勝手にしなさい」という感じで勝ち取った。
まわりの子は、門限が9時とか10時とかなのに私だけ5時ってどうなの。
友達とは遅くまで遊べないのでいつも私だけ途中で抜けるか遊べなかった。
キツかった。
- 高校生になった妹が軽音部に入りたいと言い出した時の母
妹が高校生になったとき、部活はどうしようかと悩んでいた。
妹は中学でバレーをしていたので高校で違うことをしたいと色々考えた末、友達に誘われたのとドラムをやってみたいということから軽音部に決めた。
楽器は学校にあるので、ドラムは買わなくてもいいの。ドラムを叩く、バチ?(楽器に詳しくないので分からないが、ドラムを叩く棒みたいなやつのこと。以下バチにさせてください)を買うだけだったのだが、それは私の友達が持っていたので貰うことになった。
私は賛成した。友達も軽音部だったので、楽しそうだったしいいんじゃないかと思って賛成した。妹も入る気満々。しかし両親は違った。
(父は母程厳しくはないが、それでもたまに厳しい)
親の言い分としては、
「軽音部なんてお金がかかる」
「テレビでよく事件を起こしてる」
「休みの日はいつもライブの勧誘で忙しい」
「ロクでもない人間が多い」
「将来不利になる」
というもので私は非常に驚いた。
え、何言ってるの?
軽音部だった友達は皆良い人だったし、偏見のオンパレード。
金はかからない、バチ買うだけだってと言っても聞く耳を持たない。
断固反対の両親に妹は大泣きし、最終的にはバレー部に入った。
あのときは本当に理解できなかった。
- 母が怖すぎて反抗期は引きこもってた
中学二年生のとき、反抗期がきた。しかし母に反抗すると怖くて怖くて言い返すことができなくてほぼ毎日家では黙っていた。とにかく身内に話しかけられるのが嫌で嫌で「うん」くらいしか言わなかった。母によく「喋らないと分からない」と怒鳴られたが反抗期は本当に母が鬱陶しかった。でも言い返したりできなかったので、私のイライラは学校で発散する他なかった。
思えばあのとき、とてつもなく自己中だった。昔からそういう気質はあったが反抗期で増幅した。
家では鬱憤が晴らせない。なら学校だ。と、変にはしゃいでいたらいじめられた。
でも今になっても何故いじめられたのか原因は不明。話したことのない人からいじめられたので詳しいことはよく分からない。
とにかく母が怖すぎて言い返すこともできなかった私は、祖母や妹、友達が標的だった。友達に対してはなんかもう、パシリにしてた。申し訳ない。
あのとき母に反抗できていれば何か変わっていたのか、と考えるが想像できないので無理。
- 妹に「は?」って言ったら「バイト先でもそんなこと言うのか」と激怒した母
これは最近のこと。
私と妹は仲が良く、軽い言い合いなんかもしょっちゅう。お互い冗談で言ったりするので特別傷ついたりすることはない。
妹がいつものように、私に「バイトで稼いだら何か買え」と言ってきたので私もいつものように「は?」と笑いながら言ったら母が激怒。
「バイト先でも、お客さんにそんなこと言うつもり!?」
と言われた。
私と妹は呆気にとられた。
え?ん?ここ家だけど。
まさかこのタイミングで「客にも言うつもりか」なんて怒られると思わなかった私はポカーンと口を開けたまま父を見つめると苦笑してた。
バイト先で「は?」と客に言っていいかどうかなんてさすがに私でも理解している。
しかし、ここは家。バイト先ではない。客もいない。家族しかいない。学校で友達にも「は?」と冗談で言ったりするが、客に言ったことはない。どうして母がそんなことを言ったのか私にはよく分からない。
- やれと言われたのでやったら激怒
これはまあ、うーん、私が悪いのか。自分でもよく分からなかった。
覚えていないが、母が私に対して激怒し「じゃあ洗濯物くらい洗って」と言って寝始めたので私は洗濯物を洗おうとした。
生まれてこのかた洗濯機なんていじったことがないので使い方なんてよく分からないが、取り合えず何かやってみようと思い網の袋に服を詰め、洗濯機の回し方は後でググろうと思っていたら母が戻ってきて激怒。
「何やってるの!?」
やれと言われたのでやったのに、怒られた。
じゃあ私はどうすればよかったのか。
ごめんなさいと先に謝っておいたのにそれでも怒って「やりなさい」と言われたからやったのに、正解が分からなかった。
寝た母の元まで行き「ごめんなさい」ともう1度謝ればよかったのか。
- 「着ない服と着る服に分けておいて」と言われたので分けたら激怒
高校生まで大抵母が服を買っていた。買ってくれるのは有難いが母と趣味が合わない。というより、母は近所にある小さなデパートで安くなった服を買ってくる。ぶっちゃけ、変な服。この歳になってその服を着るのか、という服。
それが嫌で、自分の好みの服を買っていた。
ある日「着ない服は捨てるからどこか置いておいて」と言われたので、着ない服を大量に置いたら激怒。
「一回も着てない服があるじゃないの」
「どうしてこんなにあるの」
「私が選んだのが嫌なら自分で買いなさい」
一回も着ていないのは好きじゃない上に、着て外へ出るのが躊躇われるような服。
服のセンスがないのは自分でもわかっているけどそんな自分でもこれはないだろう、と察する服。
自分で買っていいなら自分で買う。けれど、買ったら買ったで「こんなにたくさん買って大金出したのね」とこれまた激怒。たくさんと言っても2着か3着くらいしか買っていない。だって母が買った服が大量にありすぎて仕舞う場所がない。
当時小学生だった従妹にあげようかと考えたが、あの子はきっと着ないだろう。
あの家は結構オシャレさんで小学生にも関わらず子供っぽい服は好きじゃないのだから。
今でも子供っぽくて着ない服がたくさんあるが未だに言えない。もう収納場所もないので新しい服も買えない。こっそり捨てたい。
- 卒業旅行に行けなかった
高校を卒業するとき、友達と卒業旅行に行きたかった。
年上の従姉が卒業旅行へ行っていたのだがそれを聞いた母が
「卒業旅行なんてロクなもんじゃない」
と、ぐだぐだぐだぐだ言っていたのですぐに断念した。
嫌そうに顔を顰めて言うものだから行きたいとは言えなかった。
言わない私も悪かったけど。
- とにかく節約と言われ続けて小学生だっ私はとんでもないケチだった
私が小学生だったころ母の口癖は「節約」だった。当時の私はうちにはお金がないのだと思い、とてつもなく金に敏感になりケチだった。
ある日友達が家に遊びに来た。すると母は「このお金でジュースでも買ってきなさい」と私に金を持たせた。私は「うちに金がないのに友達のために使うのか」と衝撃を受けた。
私は自動販売機の前で友達に「安いやつにしてね」と言った。ケチだった。
また、先生の理退任式で花束を渡すからそのお金を用意して、と友達に言われた。私は「特に仲良かったわけでもない先生のために金を使わなければならないのか」と衝撃を受けた。
結局私はそのとき金を払わなかった。申し訳ない。
節約節約と言われて育った当時の私は「家には金がない」「他人に使う金はもっとない」という思いが強かった。とんでもないケチになった。
今は当時ほど敏感ではないが友達に「お前はケチだな」とたまに言われることがある。無意識にケチな行動をとっているらしい。恐らく当時のものが未だに残っているのだと思う。
もう少し寛容になりたい。
他にも、友達には言えないクズっぷりがある。
母に習字を教えてもらったが厳しすぎて授業ではズルをしたりと、色々なことがあった。
母が厳しいというよりは母に対する愚痴になってしまったような気がする。